高橋修一のエッセイ

ミセス April 2004 建築家の住い考4 

「人の棲みか」

私は山中で年の三分の一を過ごす。そんな身からすれば、日本の住宅はどんどん機械じかけとなって、自然なあり方から遠ざかっていっているように感じる。エアコンの普及によって陽当りや風通しを建築的に工夫することを惰るようになったし、梅雨の季節には除湿磯を、乾燥期には加湿器を使うのが当り前のこととなっている。天然素材のもつ調湿機能など、もうほとんど眼中にないかのようだ。自然の恵みを忘れて、我々は人工を恵みと考えるようになったが、さてこの偏りは果たしてどんな結果を招くだろうか。


 夏冷房するということは、外にあっては暖房されているということだ。住宅ばかりではない。各種商業ビルから超高層にいたるまで、果てはあらゆる乗り物や地下鉄構内までもが冷房という暖房を繰り返す。夏季に吹き出す熱風の総エネルギー量を計算したら膨大なものとなるだろう。こうしてますます、いやもうすでに冷房なしではとてもじゃないが居られないということになっている。わかっちゃいるけど止められない式に、我々は自ら招いた悪循環に陥っているのである。


 私はせめて人間が住む住宅においてはぎりぎりまで建築的に創意工夫を凝らして、機械はその不足を補う補助手段に徹しようと心している。特にこの森さんの家は森さん自身の何にも優先する希望でもあったが、太陽の恵みを取り入れ、また良好な風通しが得られるように水平方向にも垂直方向にも工夫を図った家だ。素材は床、壁、天井すべてに調湿可能な自然素材を使っている。屋根は二重断熱、外には森さん自らの手で広葉樹をたっぷり植えた。夏には繁って日陰をつくり、冬には菓を落として太陽の恩恵にあずかる。こんな時代にあっても冬晴れた日には暖房なしで居られるし、夏季もクーラーはほとんど使わないで済む。健康的であり、かつ経済的でもある。


 しかるに昨今の住宅の傾向を私は憂える。高断熱はともかく、高気密住宅には高換気、即ち二四時間の計画機械換気が必要なことをまさか知らぬ者はないだろう。高気密とは家中隙間なくびっしり閉めるということだから、新鮮な空気を取り入れ、我々が吐き出した炭酸ガスを排出しなければ危ないことになる。こうして機械による計画換気が必要になるのだが、さてさて、こんな人工的につくり出される室内環境に暮らすことを我々は良しとするか、と自問しなければならない。


 深刻なシックハウス症侯群対策がこの機械換気に拍車をかけた。一昨年来の法改正でこの二四時間の計画換気が義務付けられた。家をいかに安全につくつても、この義務から逃れられない。家具等からも有害物質が出かねないからだという。知らぬ間に機械が壊れていたらどうなるのか? オン・オフはあなたの自由です?・・・そんなバカな! この国の選択はどうしてこうも本質的な方向に向かわないのだろう。


 義務付けるというのなら、我々は使わない方向に向かい、国は健康に被害を及ぼすような建材及び生活の具はつくらせない方向に徹して法を整備していくのが本道というものだ。

 ”悪い空気を外に出せば…、外はどうなるの?”小学生の疑問である。いずれ外も計画換気をしなければならなくなるだろうと私は答えておいた。人間の住宅は、人間の生活は、もっと自然な原理に立ち返っていかなければならない。