友 へ
私が中村光次君と最初に出会ったのは大学の研究室でした。特に親しかったわけではないのですが、何となく馬が合い自然体の付き合いが続きました。 卒業後中村君は建設会社に就職した後、地元山梨で設計事務所を開設して住宅中心の設計を続けていました。
そんな彼からある年のOB会で、『仕事がつまらない、自分が誇れる家を設計したい』と愚痴のような言葉を聞いたのでした。私も同じような経験をした後、住まい塾のスタッフになったので、『だったら住まい塾で一緒に頑張ろうよ』と誘い、高橋さんの本を渡してその日は別れました。
その3日後に彼から突然電話があり『高橋さんに会ってぜひ話がしたい。自分も住まい塾の仕事がしたい』と言ってきたのです。 それが切っ掛けとなり住まい塾の設計スタッフの一員として山梨を中心に頑張ってくれました。ここ数年は持病もあり、そろそろ引退して好きなことをしながらゆっくりしたいと話していたのを思い出します。
中村君は昨年の秋に北アルプスの山岳事故で亡くなってしまいました。山登りが大好きな彼ですから本望かもしれませんが、まだまだやりたい事はいっぱいあったと思うと残念でなりません。あまりに早い旅立ちでしたが彼が残した沢山の住宅たちはそれぞれの地でこれからも建て主と一緒に生き続けます。
文 / 門田勝吉 【東京本部 スタッフ】

