小学校低学年頃の私は家の建具工場の隅で、よくままごとをしていました。器に盛ったご飯は、桧のカンナ屑。クルクル丸まった、きれいな薄い肌色と爽やかな匂いが好きだった気がします。
写真はもっと昔、3歳まで住んでいた父の実家の建具店(大阪市福島区)。全く覚えていないけれど、生まれてからずっと建具や材木に囲まれて暮らしていたんだなと改めて思います。
その後私が20代前半の頃に父が亡くなり30代まで、私は建具や建築…などとは全く無縁で、興味も持たずに過ごしました。自分はどんな家に住もうかと考えた頃に住まい塾と出会い、今では父のような建具屋さんと一緒に仕事をする、建築の設計という仕事をしています。小さい時には想像もできなかった、ほんとに不思議なことになりました。
父は建具が好きで、必ず頭の隅に仕事の事があって、一生懸命な人でした。家族と一緒にデパートに行っているのに、通りかかった売り場の家具の建具をはずし、裏を向けて中身を調べ始めるので、私はとても恥ずかしくて嫌だったのを覚えています。父は戦争で兵隊に行った世代なので、戦後、建具の技術が進化する中、自分で調べて、こつこつがんばったようで、きっと大変だったろうなと思います。
私のことはとても可愛がってくれました。仕事用の軽トラで、お稽古でも学校でも、どこでも送り迎えしてくれ、帰りが遅いと心配してくれました。出かけた時のお土産はいつも私の好物のシュークリームでした。
生きていれば今年100歳になります。今の私を見たらどんな声をかけてくれるでしょう。びっくりするだろうなぁ。喜んでくれるといいなぁ。
*白黒写真を彩色サイトで色付けしました。
文 / 南野 容子